やさしい生活

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ボランティアとは?

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先日の豪雨に見舞われ、僕が住む広島も広範囲に渡って土砂などの被害が出ました。

その後、2回ボランティアに参加し、ボランティアってなんなんだろうと悩んでいます。

 

僕が住んでいた町は特に被害もなく、道が土砂で塞がれて困った程度。

しかし、車で行ける範囲に民家が浸水したり、断水、食糧難に陥ったり、やりきれない思いがただ募るばかり。

 

沢山の方が行き場のない善意を満たしに行ける場所がボランティアだとばかりに考えていました。

 

ただ僕が参加した感想としては

「何かやってあげたい、助けてあげたいと言った善意のみのボランティアではモチベーションが続かない」です。

 

理由は、期待以上の相手からの感謝というのは得にくいこと。

困っている立場の方の元へボランティアに行くと感謝されることは、誰でも予想ができる。(少しおこがましいですが)

そのため自分のモチベーションを、善意を相手に押しつけて得られる感謝に設定すると、結果的に味気なくなると考える。

 

では、どうすれば良いのか。

やはり、自分のモチベーションも自己完結すべきだと感じました。

自らボランティアに行ったことで得られた意味を見出すのです。

 

僕は

・被災された方の普段の生活というものは今では無い事実を知った。

・木材が川の水などに浸水すると虫が沸くため捨てなければならない。

・町の人がなんとか元の姿に戻そうとコミュニケーションが活発化していた。

・地域おこし協力隊として町に協力していた方が、町だけでない人脈を利用することで支援の要請がしやすかった。町により馴染めていた。

・10日経っても人手はいくらあっても足りない状況で、継続的な支援が必要だと感じた。

社協や学生団体が毎日の活動を記録することで今後のボランティア活動を円滑に意味のあるものにしようと頑張っていた。

・当事者意識のある学生たちと話せた。

・現地の方と実際に話せて大変だったと実感出来た。

 

自分の中で、たくさんの気づきが得られた事がボランティアに参加した意味です。

ありがとうを貰いに行くのではなく、むしろこのような気づきを得られるきっかけをありがとうございますと言いに行くような心持ちです。

 

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特に、受け入れる側の人の方がボランティアに来ている人よりよほど気を遣うことを知れたのが大きいです。

ドリンクや冷たいタオル、スイカを絶え間なく用意し、感謝の意を込めながら配る。

自分が大変な状況の中、です。

 

相手の立場を考えながら動こう、と気づけた時点で私はボランティアに行ってよかったと心から言えます。

 

こうして自分のエゴで善意をぶつけに行くボランティアではなく、自ら価値を見いだせるボランティアの形が広まれば良いなと思います。

 

被災された方の普段通りの生活が少しでも早く戻りますよう、お祈りしています。

 

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